モザンビーク

エッセイ

僕がアフリカのモザンビークで暮らす理由

明後日の日本帰国を控え、妻から、4ヶ月間のモザンビーク生活に関する感想を聞きました。

その話を聞いていく中で、突然わかったんです。

「あ、僕がモザンビークで暮らす理由って、そういうことなのか!」と。

6年間も住んでいて、今ごろ気付いたの?と妻には飽きれられましたが、

ようやく、腑に落ちた・・・自分の行動が。

この場を借りて、書きなぐっていきます。

僕がアフリカのモザンビークで暮らす理由は、

アフリカに住んでいることで、小さいことのありがたみを感じられている」からでした。

アフリカアフリカって言わないの

モザンビーク

日本人なのにアフリカで暮らしていて、すごいね。という意見。

僕は日本にほとんどいないので、直接耳にはしません。

が、妻はよく言われるようです。

「旦那さん、アフリカで生活してるってすごいわね〜(私の旦那じゃなくてよかったー)」と。

Why?日本人がアフリカに住むことは、そんなに特別なことなのか?

日本が圧倒的に恵まれているから?つまり、より過酷な生活に人は望んで入ろうと思わないから?

でも、恵まれてますよ、アフリカに住んでいても。

僕がモザンビークに住んで一番良かったなー!と思うことは、

・水や食料があること、無事生きていることに対して、少なからず感謝の気持ちが持てるようになったこと

です。

日本生まれ・日本育ちの僕は、何に不自由して生きてきたんだろう。

姉にTVのチャンネル争いで負け、大好きなこち亀が見れなかったことが不自由か(完結したらしいですね)。

それとも、大学で女性ゼロのサークルに入り、女性と接点がなかったことが不自由か(焦って自分で作ったサークルにも、やっぱり女性はいなかった)。

以前、それを不自由だと思っていた自分に、今の僕からメッセージ。

「このカエル野郎!大海を見てこい!」

日本人の感じる9割以上のことは、不自由なことじゃない。

もちろん、「不自由だなー」と感じる気持ちは大事。そこを満たそうとするからビジネスが存在するわけなので。

でも、「不自由だな〜」とか「そんなの当たり前〜」と日本水準で考えるのは、やめました僕は。

アフリカで暮らしていると、日本のありがたみがわかる」という人がいます。

そうだろうか?

僕は「日本から離れてよかった!」という気持ちが強く、どちらかというとアフリカに感謝しています。

アフリカでの暮らしと言っても、ピンからキリまである。

僕の住んでいるところは、水も電気も、まぁ生きるのに支障がない程度にアクセス可能で、ピンよりの住居環境かもしれません(犯罪は多いですが)。

それでも、日本に住む日本人にとってみたら

「あ~やんびーさん、ついに頭がおかしくなっちゃんたんだな〜そんな所に住んで」

と思ってしまう。

おかしいのは、日本の今の環境ではないでしょうか。

電車が少し遅延しても、いいじゃないか。

運転手を発狂させるまで怒鳴り散らすのは、普通なのか?

カット打法を作り上げた高校野球児がいても、いいじゃないか。

わざわざ禁止にするほどのことだろうか?

必要以上なことまで求め、ルールで異質な者を排除する。

僕はその生活のほうが、アフリカの生活より10倍大変だと思う。

というわけで、アフリカ、アフリカと特別扱いしなくていいんです。

一番アフリカって言ってるの、自分か。

メンタルは強くなる、数年こっちで住めば

モザンビーク

 たとえば、JICA海外協力隊の人

彼らは、通常2年間(一般的に)途上国と呼ばれている国に住み、ボランティア活動を行います。

メンタル強くなると思いますよ、2年もいれば。

少なくとも、生活力は日本にいる日本人を超えられる。

想定外のことが起きても、慌てにくい人格になる。

日本と比べて生活水準の低いところで暮らすので、帰国後は田舎に住んでも何ら不便を感じません。

・・・まぁ、日本社会で通用するかどうかは別物ですが。

こっちで身につく力は、こっちで生きていくために必要なもの。

日本で必要とされない力もあります。

ちなみに僕も協力隊経験者です。派遣先がモザンビークで、その後紆余曲折を経て現地で起業しました。

話がそれました。

何が言いたいのかというと、

日本の生活レベルをリセットするなら、一定期間、途上国(と呼ばれる場所)で暮らすといいかなぁと。

短期間だと、観光でキレイな一面だけ見て終わり、になりがち。

長く現地に身を置くと、良い部分も悪い部分も見えてきて日本を客観視できるようになります。

もし、なにか閉塞感を持ちながら日本で生きているのであれば、

日本の田舎に行くより、ポーンと思いっきり飛び出してアフリカへ行ってみましょう。

モザンビークでのホームステイ、いかがでしょう?

力になりますよ。

想像力の足りない僕は、モザンビークに居続ける

モザンビーク 農業

 つらいとき、ってありますよね。

客観的に考えたらなんでもないことでも、主観的に考えてしまうと

「もう駄目だ・・・」

みたいな状態に。

そんな時、僕はこう思うようにしています。

「衣食住があるし、命もある。全然大丈夫じゃないか」と。

衣食住、常に不足している人、大勢います。

月給3,000円で家族を養う知人がいるのに、タクシー車両盗まれたぐらいでツライなんて思っちゃダメです(そうだぞ、自分)。

命を失った人、大勢います。

日本だと大した病気でもないのに、治療がいい加減で命を落とす人、本当に多いんです。

(先日、僕の滞在地にいた日本人コンサルタントが見事な誤診を受けてました) 

身近にそうしたケースがあるので、ツライなんて言ってられません。

もちろん、日本にいながらでも、ニュースや講演会などで途上国と呼ばれる国の状態を知れます。

想像力の強い人は、それだけで自分が恵まれていることを知り、日々感謝して生きていけるでしょう。

が、僕はそうじゃありません。想像力が乏しいんです

日本にいながら他国に思いを馳せること、できません。

極端な話、日本にいたらモザンビークのことを気にかけないと思います。

残念なのかわからないけど、僕が物事をリアルに感じるには物理的な距離の近さが必要です。

だから僕はモザンビークにいます。

今は、モザンビークで何か価値のあることをしたいと思っているので。

これからも、小さなことに感謝しながら生きていたいので。

今まで書いてきたことを一言でいうと、

モザンビークの生活のほうが好きだから、住んでます。

ですね。

内容すっからかんですが、今回は以上です。

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サイト管理人:やんび〜

アフリカのモザンビークでモリンガ事業を営んでいる日本人です| 青年海外協力隊→開発コンサルタント→起業 (※すべてモザンビークでの経験)|ポルトガル語の通訳・翻訳、モザンビーク関連のコンサルティングサービスも提供しています。まずは気軽にお問い合わせください♪| サービス一覧

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